メジャーデビュー以降、常に第一線を走り続けているポルノグラフィティ。唯一無二の存在感を放つバンドとして、幅広い世代から愛され続けていますが、「解散」「活動休止」など気になるワードも見つけました。
そこで今回は、ポルノグラフィティの
- 経歴
- メンバーTamaの脱退理由は不仲?
- 解散や活動休止なぜ?
- ライブすごい理由
について調べてまとめてみました!
【ポルノグラフィティ】経歴は?
ポルノグラフィティは、
- 岡野昭仁(ボーカル)
- 新藤晴一(ギター)
の2人メンバーで構成されたロックバンドです。
ポルノグラフィティの前身バンドは、新藤晴一さん(ギター)が高校1年生の時に結成した
- 『NO SCORE(ノー・スコア)』
というバンドです。同じ高校に通っていた従兄弟を誘って結成され、
- BARBEE BOYSのコピーバンド
として、新藤晴一さんがボーカルを務めていました。その後、高校2年生の時に、新藤晴一さんから「文化祭でコーラスとして参加してほしい」との勧誘を受けて、
- 同じ高校の同級生の岡野昭仁さん(ボーカル)が加入
しました。文化祭での初ライブは自分達でも下手だと感じたほどだったそうですが、それでも声援を受けたことで、バンドとしての活動に夢を抱くようになったということです。
この後、メンバーのドラマーからの勧めもあって、新藤晴一さんがギター専任となり、それによって岡野昭仁さんがボーカル担当となりました。
週1回のペースでバンド活動を行なっていましたが、高校3年生の文化祭の前に受験のためベーシストが脱退してしまい、ここで新藤晴一さんの
- 幼なじみのTamaさん(現在は脱退)がベーシストとして加入
そして、文化祭ライブ、卒業ライブを以て
- NO SCOREは事実上の解散
となりました。
高校卒業後は、
- 岡野昭仁さん:浪人のため大阪の予備校で寮生活
- 新藤晴一さん:広島県福山市の専門学校に進学
- Tamaさん:高専でまだ学生
と、それぞれ別々の道を歩んでいましたが、新藤晴一さんは専門学校には実質2ヶ月ほどしか通わず、漠然と
- 「大阪でバンドをする」
という考えが浮かび、
- Tamaさんが因島で活動していたバンドに参加
- Tamaさんと一緒に曲作り
をするようになりました。2人は
- 広島県内のコンクールに出場してグランプリを獲得
などといった中で次第にプロを意識するようになり、
- ボーカルオーディションを開催
してボーカルも迎えて活動していましたが、なかなか上手くいかず、
- 「やっぱりボーカルは昭仁がいい」
という風な気持ちになっていきます。この頃から
- Tamaさんが「大阪の音楽学校に行きたい」と考えていた
こともあり、新藤さんは、
- 岡野昭仁さんがいる大阪へ行くことを決意
しました。そして、1994年に岡野さんは大阪の大学に入学し、NO SCOREの他メンバーも大阪にいたことから全員で再会を果たし、5人で活動していきますが、それぞれの生活がある中でのバンド活動は難しく、2人が脱退し、
- 岡野昭仁さん、新藤晴一さん、Tamaさんの3人メンバー
となり、この頃から
- バンド名はポルノグラフィティに改名
されました。
以降は、メジャーデビューまでドラマーをチェンジしながら3人体制で活動を続けていきます。1995年からは本格的に活動をスタートし、
- 寝る間も惜しんでバイト
をして生計を立てながら、
- ライブ活動
- デモテープの持ち込みや送付
- コンテスト参加
など精力的に活動していく中で、南港でのアマチュアバンドの野外イベントに出演した際に
- SMEの新人発掘担当者に声をかけられて名刺を渡された
ことは、メジャーデビューまでの大きなモチベーションになったと、後に新藤さんは語っています。
着実にバンドとしてステップアップしていたポルノグラフィティでしたが、1996年に参加した『ニューBSヤングバトル』で
- 「今が絶頂期のポルノより、将来性のあるバンドを優勝させたい」
という風な理由から入賞できず、このことがきっかけで方向性を見失い、
- 1997年に入った頃は「バンドを解散しよう」という雰囲気
にまでなり、モチベーションが最悪の状態に。ですが、このタイミングで、前述した
- SMEの新人発掘担当者から「東京でオーディションがある」と連絡
があり、最後のチャンスとして受けた
- 『SDオーディション』に合格してSMEと契約
を結ぶことになり、所属事務所がアミューズに決定。その後、大阪でラストとなる単独ライブを成功させ、メンバーは
- 1997年9月に上京
しました。上京後すぐにメジャーデビューとはならず、
- 最初の1年間はデビュー曲にふさわしい曲がなかなか作れずにいた
ポルノグラフィティでしたが、
- 1998年の夏頃に音楽プロデューサーに本間昭光さんが就いた
ことで、少しずつメジャーデビューに向けての方向性が見え始めます。本間昭光さんといえば、
- 多くの有名アーティストへの楽曲提供や編曲などを行なっている有名プロデューサー
ですよね!ポルノグラフィティ初期の頃から
- 『ak.homma』名義
で、
- アポロ
- ヒトリノ夜
- ミュージック・アワー
- サウダージ
- アゲハ蝶
- メリッサ
- 愛が呼ぶほうへ
- ハネウマライダー
などといった
- 代表曲の作曲を担当している
方なので、ポルノグラフィティにとって欠かせない重要人物であることが分かりますね。この方との出会いがあったからこそ、今のポルノグラフィティがあると言っても過言ではないでしょう。
そして、上京から2年後の
- 1999年9月8日に「アポロ」でメジャーデビュー
を果たしました。メジャーデビュー後はヒット曲の連発で、デビュー翌年の
- 2000年12月31日に『第51回NHK紅白歌合戦』に初出場
まで果たし、以降も飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していましたが、デビュー5周年を迎える直前の
- 2004年6月にベースTamaさんが脱退を発表
し、以降は現在に至るまで2人体制で活動しています。Tamaさんがいるポルノグラフィティで最後の作品となったのは、2004年7月リリースの初ベストアルバム
- 『PORNO GRAFFITTI BEST RED’S』
- 『PORNO GRAFFITTI BEST BLUE’S』
で、
- 初のオリコンアルバムチャート1位獲得
- 2週連続1位2位を独占
という記録的大ヒットとなりました。当時私も2枚とも買いました!何回聴いたか分からないぐらい、まさに本物のベストアルバムだと今でも思います!!
2人体制になってからもヒット曲のリリースは続き、デビュー10周年を迎えた2009年には
- 初の東京ドームライブを開催
し、1日で5万人を動員。翌2010年からは制作チームが一新されて、
- 全ての楽曲の作曲をメンバー2人が担当
することになりました。その後は大型フェスに出演するようになり、2013年からはポルノグラフィティが中心となってアミューズ所属アーティストと一緒に
- 『Amuse Fes』を定期的に開催
しています。
さらに、国内だけでなく、
- アメリカ
- 韓国
- 台湾
などでも活動し、現在では日本を代表するロックバンドとして確固たる地位を確立しているポルノグラフィティ。今年2023年で
- メジャーデビューから24年
となりますが、その人気は衰えることなく、幅広い世代から支持を集めています。
【ポルノグラフィティ】メンバーTamaの脱退理由は不仲?
前述の通り、ポルノグラフィティのベーシストだったTamaさんは
- 2004年6月にポルノグラフィティを脱退
しています。脱退理由については
- 不仲
なども挙げられているようですが、詳しく調べてみました。
Tamaさんが脱退した2004年といえば、ポルノグラフィティにとってまさにこれからという時だったと思いますが、Tamaさん脱退の理由は、
- 自分自身を探求するため
とのこと。Tamaさんといえば、
- 現金5万円、靴下、パンツ、片手鍋、ボロボロのベースだけを持って上阪した
というほどの音楽好きで、経歴で紹介した通り、
- Tamaさんがいなかったらポルノグラフィティは結成されていなかった
ことは間違いないと言えそうです。そんなTamaさんなので、「自身の探求」という大きい枠で脱退理由が公表されていますが、
- 「自分のペースで曲を作りたい」
- 「自分の力でファンに恩返しがしたい」
という本心があったとも言われています。メジャーデビュー後は、思うようにできないことも多々あることは推測できますし、Tamaさんは自分自身の音楽をもっと追求したかったのかもしれませんね。
Tamaさん脱退を振り返って、岡野昭仁さんと新藤晴一さんは
- 「あの頃が1番解散や活動休止を考えた」
とも語っていますし、現在でも
- ファンの間で「Tamaさんに戻ってきてほしい」という声も多い
ようです。やはりTamaさんはポルノグラフィティにとってかけがえのない大きな存在だったんですね。
そんなTamaさんは、現在
- 本名の『白玉雅己』名義でソロ活動
をしていて、
- YouTubeチャンネルでの活動
- さまざまなアーティストの楽曲アレンジ
など、精力的に音楽活動をされています。
脱退当時は不仲説などの噂もありましたが、ポルノグラフィティのメンバーとは、今でも
- Twitterでお互いにリツイートし合っている
- プライベートでも飲みに行っている
など、やはり3人の絆は固いようです!Tamaさんも現在音楽を続けていますし、目指す方向は違えど、ずっと固い絆で結ばれているのでしょうね。
ということで、Tamaさんの
- 脱退理由は「自身を探求するため」でメンバーとの不仲ではない
とまとめられそうです。
【ポルノグラフィティ】解散や活動休止なぜ?
ポルノグラフィティについて調べていると、
- 解散
- 活動休止
といったワードが出てきました。気になって調べてみましたが、結論から言いますと、2023年7月現在、
- 活動休止も解散もしていない
ですし、むしろ
- これまで活動休止したこともない
みたいです。では、なぜ「解散」「活動休止」の噂があるのでしょうか。その理由を調べてみました。
解散・活動休止なぜ?①:2020年に新曲リリースがなかった
1つ目の理由は、
- 2019年7月リリースの50thシングル「VS」~2021年9月リリースの51stシングル「テーマソング」まで約2年間新曲リリースがなかったから
と推測されています。ポルノグラフィティは、
- デビューからずっと毎年新曲をリリース
しているバンドなので、
- 新曲リリースが一切なかった2020年
の間に、解散や活動休止の噂が出たのだと思われます。
2020年といえば、
- 新型コロナウイルスの影響
もあったことが推測されますが、そうした中でも、ポルノグラフィティは
- 初の配信ライブ『CYBERロマンスポルノ’20 〜REUNION〜』を開催
していたので、実は
- 2020年もしっかり活動していた
んです。ただ、例年と違って新曲がリリースされていない年となると、やはり解散や活動休止の噂が出るのは自然なことのような気もしますね。
解散・活動休止なぜ?②:岡野昭仁さんのソロ活動
もう1つの理由として、
- 2020年11月25日に発表された岡野昭仁さんのソロプロジェクト
も、解散や活動休止の噂に繋がるかもしれません。このプロジェクトは、岡野昭仁さんが
- これまでとこれからの自身の歌を総括して、多様なジャンルのアーティストから曲や詞の提供を受けて歌う
というものですが、ちょうど2019年頃から岡野さんはソロ活動について考えていたそうです。
振り返ってみれば、ポルノグラフィティとして活動してきた20年のあいだにも何度かそういった話をすることはあったんですよ。自分にとってのひとつの経験として、ソロとして動いてみるのもいいんじゃないかなって。とはいえ、これまではなかなかいいタイミングがなかったんですよね。で、2019年の東京ドーム公演(【20th Anniversary Special LIVE“NIPPONロマンスポルノ’19~神vs神~”】)を終えたあと、ポルノとして充電期間を設けることになったので、ソロをやるならここじゃないかなという流れになったんです。
引用元:https://www.billboard-japan.com/special/detail/3255
この岡野昭仁さんのコメントからも分かるように、
- 2019年の東京ドーム公演後からポルノグラフィティの充電期間
が設けられていたんですね。2020年にポルノグラフィティとしての新曲リリースがなかったことにも納得です。
実際に、岡野昭仁さんはソロとしても精力的に活動していて、2022年には
- King Gnuのボーカル井口理さんとのコラボ新曲「MELODY (prod.by BREIMEN)」
が話題を集めました!
このコラボは、
- 井口理さんの歌の力を痛感した岡野昭仁さんから誘った
ことで実現したというまさに奇跡のコラボでした。井口理さんは、
- 「青春時代の憧れ」である岡野昭仁さん
とのコラボに大きな喜びを感じていたそうです(^^)個人的に、長く活躍しているすごいアーティストでありながら、自分よりも若い世代のアーティストとも積極的にコラボしている岡野さんはとっても素敵だと感じます。
さらに、今年は
- 2023年8月23日にソロプロジェクト初のアルバム『Walkin’ with a song』をリリース
することも決定しているので、岡野昭仁さんのソロでの活躍にも期待できそうです!
ということで、ポルノグラフィティの
- 解散や活動休止は単なる噂
であることが分かりましたね。直近のポルノグラフィティといえば、
- 2022年
- 8月 12thアルバム『暁』をリリース
- 9月~来年1月にかけて ツアー『18thライヴサーキット “暁”』を開催
- 2023年
- 5月 「アビが鳴く」を配信限定リリース
- 8月 『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2023』『SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2023』に出演
と精力的に活動していますし、今後のさらなる活躍からも目が離せません!
【ポルノグラフィティ】「ライブすごい」と言われる理由は?
ポルノグラフィティといえば、
- 「ライブすごい」
と言われています。その理由を詳しく見てみましょう!
ライブすごい理由①:メンバーの実力の高さ
やはり1番は、
- ボーカル岡野昭仁さんの歌唱力の高さ
からライブすごいと評判のようです。岡野昭仁さんといえば、
- 「口からCD音源」
と言われるほど、生で聴いてもCDと変わらないほどの安定感があり、その唯一無二の歌声は、
- Mr.Childrenの桜井和寿さんから「声に名前が書いてある」とまで言われている
そうです!私もポルノグラフィティのライブに行ったことがあるので、生で聴いたことがありますが、本当にCDと変わらない・・・いや、それ以上のパフォーマンスだったので、とにかくすごい!と圧倒されたのを覚えています。
もちろん岡野昭仁さんの歌だけでなく、
- 新藤晴一さんのギタープレイや演奏姿のカッコよさ
も言うまでもなく素晴らしく、ライブではポルノグラフィティのバンド感をしっかり感じ取ることができました!
ポルノグラフィティにとって、新藤晴一さんの
- ギターソロは必要不可欠
との声も多く、新藤晴一さんのギターあってのポルノグラフィティであることがよく分かります。
ライブすごい理由②:巻き込み力
歌唱や演奏だけでなく、ポルノグラフィティのライブがすごいと言われる理由には、
- 巻き込み力
も欠かせないと思います。会場全体を巻き込んで1つにするライブパフォーマンスは、ポルノグラフィティのライブの大きな特徴ですよね!
- コールアンドレスポンス
- タオル回し
- 手拍子やコーラス
なども定番化していて、ファンも一緒に盛り上がることができます!
ライブすごい理由③:親近感のあるMC
ライブバンドとして圧倒的な実力を誇るポルノグラフィティですが、ライブMCでは
- 謙虚さやユーモア
も感じられて、
- 親近感を感じられる
のもポルノグラフィティの魅力の1つです。MCからいざ演奏となると一気に雰囲気が変わるというそのギャップも、ライブがすごいと言われている理由だと思われます!
まとめ
この記事では、ポルノグラフィティの
- 経歴
- メンバーTamaの脱退理由は不仲?
- 解散や活動休止なぜ?
- ライブすごい理由
についてご紹介しました!
- 前身バンドは、新藤晴一さん(ギター)が高校1年生の時に結成した『NO SCORE(ノー・スコア)』
- 高校卒業後に一度解散したものの活動再開し、メンバーが脱退したことでデビュー当初の3人体制となった頃に名前を『ポルノグラフィティ』に改名
- 『SDオーディション』に合格してSMEと契約を結ぶことになり、所属事務所がアミューズに決定し、メンバーは1997年9月に上京
- 1998年の夏頃に音楽プロデューサーに本間昭光さんが就いた
- 1999年9月8日に「アポロ」でメジャーデビュー
- 2000年12月31日に『第51回NHK紅白歌合戦』に初出場
- 2004年6月にベースTamaさんが脱退を発表
- 2010年からは制作チームが一新され、全ての楽曲の作曲をメンバー2人が担当
- 2013年からはポルノグラフィティが中心となってアミューズ所属アーティストと一緒に『Amuse Fes』を定期的に開催している
- 脱退理由は「自身を探求するため」でメンバーとの不仲ではない
- 2023年7月現在、ポルノグラフィティは解散も活動休止もしていない
- 解散・活動休止の理由①:2019年7月リリースの50thシングル「VS」~2021年9月リリースの51stシングル「テーマソング」まで約2年間新曲リリースがなかったから
- 解散・活動休止の理由②:2020年11月25日に発表された岡野昭仁さんのソロプロジェクト
- →解散や活動休止は単なる噂
- 理由①:メンバーの実力の高さ
- 理由②:巻き込み力
- 理由③:親近感のあるMC
ポルノグラフィティについて経歴から詳しく知ると、やはりすごいバンドであることがよく分かりましたね。Tamaさん脱退を含め、これまでの全てが現在のポルノグラフィティを生み出しているのだと感じました。
これからのさらなる活躍に期待して、引き続き応援していきましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました☆